逝かない、逝かせない。

俺が生き続けるならば、何をしてでも君は生きるべきだ。

俺が逝くならば、その時は連れて行こう。

 

比翼の枝

連理の鳥

 

暖かい繭のようであった寝具に忍び込んでくる冷気が体躯を喰んだ。それに無理矢理惰眠から引き剥がされ、うっすらと目蓋を開いた梵天は温みを逃がすまいと分厚い掛布をしっかりと躰に巻き付けて縮こまる。しかしそんな行動をあざ笑うかのように布団をすり抜けて襲う寒さは一向に改善されなずに天狗を凍えさせる。

梵天は仕方なく肘をついて、俯していた褥から貌と胸部をのそりと起こした。その背から滑り落ちた掛布は、漸くといった体で腰に留まり脚を覆うばかり。おまけに着込んでいたはずの薄い単衣の夜着はすっかり肌蹴て両腕に袖が辛うじて通っているだけという有様。剥き出しになった肩から背の真白い裸身を隠す常磐の混じった金色も僅かばかりで、大半は流れて敷布にわだかまる。

「寒い」

咎めるように不機嫌に呟いたのに、障子戸を開け放ち初冬の外気を呼び込んでいる犯人が振り返った。

上半身だけ褥から這い出させた梵天の姿に、張り出した露台の欄干に足を垂らして腰掛けていた露草は降りて詰る相手の枕元へと歩み寄った。

「んな貧弱な体だからだろ」

肉付きの薄い骨と皮ばかりの躰は寒さに弱い。今もくっきりと肋の浮いたまさしく鳥がらのような脇腹を眺め、呼吸に小さく上下するのを見て取った少年の姿の樹妖は、自分よりも薄いのではないかと密かに危ぶむ青年の相変わらずの胸の厚みを測り、また痩せたかと懸念する。

「露草」

それでも心の内など伺わせず貶むように見おろす配下とも仲間とも言えない相手を、梵天は情交に疲れて寝入った後特有の淫靡な艶を滲ませた目で胡乱に見上げた。その淫蕩の名残を強く纏い付かせた態を直視出来ずに、露草は目線を逃した。

「本当のことでぇす」

馬鹿にしきった返答に吐息をついて、梵天は仕方なく気怠い腰になるべく負担が掛からないよう動き、伏していた褥に片膝を立てて座る。その露わにされた雪の如くに白い痩腿の柔い部分に散らばって浮かぶ幾つかの赤い鬱血痕は明け方に露草がつけたものだ。膝頭に肘をおいて頬杖をついた梵天があえて見せつけているわけではないことを十分理解している樹妖は無言でさらに視点をずらしてあらぬ方角に顔をやる。この淫奔な天狗は完全に無意識に媚態をとり蠱惑をふりまいて獲物を誘おうとしているので、責めてもどうにもならない。所作全てにおいてこうなのだ。

「どこぞの暇を持て余したお気楽妖怪とは違って苦労が絶えないからね。おまけに、そのお気楽な誰かさんが勝手な行動をとって迷惑を掛ける」

露草がそっぽを向いたのを当てつけと取った梵天は、お返しとばかりに嫌みたらしく陰険に嘯く。大人しく聞き流せるような性分でもない露草は、険を顕わに突っ返す。

「だれのことだ」

「胸に手を当てて聞いてみたら?この考え無しの単細胞が」

「誰が単細胞だ。好き勝手してるのはお前だろ」

「君以外に居るとでも?第一身の安全も図らずに危うく消えてしまうところだった誰かさんと俺とではまったく違うよ」

常のような軽い言い争いに、ふいに落とされた悲愴を含んだ言葉に、樹妖は口を噤み逸らしていた顔を戻す。先の行動を揶揄するでもなく指摘され、それなりに負い目を覚えている露草は反論出来ない。

手間を掛けたことにではなく、梵天に与えた痛みについて、だ。

強靱なふりをしても、実際は脆弱な面の方が多い天狗は一度経験した故に、己のものが失われるのを何よりも恐れる。それを己に関してだけは覚えさせたくない思っていたのに、与えてしまった。

「全く。いらん労力かけさせやがって」

今度は梵天が露草から顔を背けて、髪を掻きあげながら忌々しげに吐き捨てる。その金糸を掻き上げた腕の細さ、骨ばった痩身。引き歪められた唇と、眦を刺す痛々しさに樹妖は向けられた羽根が内包されているようにはとても見えない背を抱き竦め、その頼りない肩に顔を埋めてぼそりと謝罪した。

「悪かったな」

肩に触れる吐息、苦しいほどに締め付けてくる力に一度だけ大きな溜息をついて身を預けると、梵天は己を抱く露草の腕に手を添え、小さく笑む。

「まあ、無事だったからいいさ」

そのままじっと互いの温もりを感じ、鼓動に耳をすます。

「露草」

確かに其処にある存在を感じながら、梵天は静かに呼ぶ。

「なんだ」

「俺をおいて逝くなんて、そんな真似させてやらないよ」

「するかよ」

哀悼のように沈痛な声で傲慢を言う相手を、きつくきつく一寸の狭間すら許せないほどに強固に抱いて離さず、露草は約束でも誓いでもない、ただ己の在処を答える。

 

「絶対に、逝かねぇさ」

 

露草の内に、梵天と同じ喪失への怖れと脅えがあった。

 

滅するつもりなど無い。

彼の蛇妖も、彼の樹妖もいなくなってしまった。

残された唯一のこの温もりは、互いに決して離し得ぬもの。

 

つがいの鳥。

つがいの枝。

 

失われれば、最早生きていけない。

 

 

 

 

 

 

 

あれ?ほのぼので終わるはずだったのに、何故暗く終わる?

まぁ、いつものことと言ったらいつものことですが

しかし私の書く話で登場人物がよく寝てるのは、私が寝るのが好きだからなのか